アルスター通信(ド イツだより) Alster Nachrichten |
第 7 号 2001年3月26日発行 発行人: 吉野 輝雄 |
- 芸術と学術の町・ダル ムシュタットへ
- Kunst- und Wissenschaftsstadt Darmstadt
吉野輝雄 in Hamburg
2000年11月17日(金)から19日(日)まで3日間、中部ドイツにある芸術 と学術の町ダルムシュタット(Darmstadt)を訪れた。
第一の目的は、1998年からダルムシュタット工科大学(Technische Universitaet Darmstadt)のLichtenthaler教授のところで研究中の中川淑郎先生を訪ねることであった。Darmstadtの町と大学を一度ぜひ訪れたいという私の希望を快く受け て下さったのである。
17日の朝6時Hamburg発のICE超特急列車に乗りFrankfurt駅まで3.5時間、そこから普通列車に乗り換え15分で Darmstadt駅に着いた。中川先生がわざわざ駅まで出迎えに来て下さった。まずバスで町の中心にあるルイーゼン広場 (Luisenplatz)へ行きホテルにチェックイン。この時から50時間のDarmstadtにおける刺激的で楽しい発見と体験がスタートし た。
私が興味をもったDarmstadtの町の特徴を以下に列記し、体験を記す。
- 1.ダルムシュタット工科大学のある町
- 2.多くの日本人糖化学者がLichtenthaler教授のもとに研究留学した町
- 3.偉大な化学者リー ビッヒとその弟子ケキュレの生まれた町
- 4.メルク (Merck)本社・工場のある町
- 5.ヘッセン (Hessen)公国の首都であった町
- 6.Jugendstil (新しい芸術活動)の中心地であった町
- 7.素晴らしい絵画が展 示されているヘッセン州立博物館のある町
- 番外1. 地ビールGrohe-Bier酒場へ
- 番外2. オペラ「魔弾の射手」を鑑賞
訪問日が金曜日であったので大学が開いていた。町の中心にあったTHDの大部分が1963年に現在のLichtwiese地区に移転が決定され、 その後教員学生規模が大きくなり、1975年には化学関係の研究所が移転。1997年に人文・社会科学分野も含む総合大学TUDとなった。
有機化学研究所はHamburg大学と比べると新しいだけに機能的な構造になっていることが中に入るとすぐに分かった。研究所内のケキュレ講堂 は、彼が提唱したベンゼン構造に因んで六角形に作られており、床タイルも六角形であるのがおもしろかった(ケキュレは後述するようにDarmstadt生 まれ)。
THD時代から糖有機化学の分野ではLichtenthaler教授の名前と研究業績は広く知られていた。私自身も30年前の学生時代からよく存 知あげていた。しかし、Lichtenthaler教授は2000年で定年を迎えられ、研究室が大移動中であった。残念ながらこの日 Lichtenthaler教授とお目にかかれなかったが、Cuny教授と大学院生とお話ができ幸いであった。
フロアを一巡した後に、Cyclodextrinに関する研究をされている中川先生の研究室に案内して頂いた。実験室の内部も興味深かったが、窓 からの展望がすばらしくマチルダの丘の「結婚記念塔」(後述)とメルク社の高い煙突(こちらはすばらしいとは言えないが)も見えた。よく晴れた日にはフラ ンクフルト空港を離着陸する航空機が見えるという。
2.多くの日本人糖化学者がLichtenthaler教授のもとに研究 留学した町
Lichtenthaler教授の研究室にはこれまで多くの日本人糖質研究者が留学していることで知られている。1964年に吉村寿次先生(東京 工業大名誉教授)がまず最初に来られ、つづいて中川淑郎先生(横浜市立大・名誉教授)、上野民夫先生(京都大・農学部教授)、小川誠一郎先生(慶応義塾 大・理工学部教授)、梶 英輔先生(北里大・薬学部教授)、榊原 徹先生(横浜市立大・理学部教授)、清水(旧姓・蛭間)和美先生(現英国・Leeds大 学研究員)・・・と、短期を含めるとこれまで21人留学されたと聞いている(1975年にTHDでPhDの学位を取得された森野哲夫先生が世話人となって 「Darmstadtの会」がつくられている)。中川先生は、今回も含めて2度長期滞在されている。その他に、物理化学の分野であるが小林迪夫先生(青山 学院大学理工学部教授)がGleiter教授(現在Heidelberg大学)のもとに2年間、夫人の信子さん(私の妻の妹)と共に滞在された大学であ る。
これらの先生方が研究生活を送られた町を一度は訪れてみたいという長い間の念願が今回かない幸いであった。