3.偉大な化学者リービッヒとその弟子ケキュレの生まれた町

 液体の蒸留にはリービッヒ冷却管が使われ、化学を学ぶ学生は誰もがリービッヒ(Justus Liebig)の名を知っている。リービッヒは精密な元素分析法を開発するなど近代有機化学の創始者なのだ。一方、ベンゼンが平面六角形構造であることを提唱したケキュレ(Friedrich August Kekule <後にvon Stradonitz>に改名)はリービッヒの弟子で、やはりDarmstadt生まれである。次に紹介するメルク(Emanuel Merck)もこの町の生まれで、Darmstadtが化学と深い結びつきのある町であることを示している。(因みに、リービッヒがヘッセン州にあるギーセン大学で28年間化学の教授をつとめたことから、大学は現在Justus-Liebig-Universitaet Giessen と呼ばれている)。

 

4.メルク(Merck)本社・工場のある町

 全世界の有機化学者の中でMerck Index(化合物辞典)のお世話にならない人はまずいないはずだ(この辞典はアメリカにあるメルク社の元子会社が発行している)。しかし、世界的な医薬品、化学研究用の試薬メーカーとして知られているメルク本社・工場がDarmstadtにあることまで知っている人はどれだけいるだろうか。私は今回Darmstadtに来て初めて知った。

 町の中にはメルクとリービッヒのレリーフ像が並んでいて、2人が親しい友人同士であったことを伝えている。町の中心地ルイーゼン広場には今もMerckが開いた薬局(Engel Apotheke)がある。その前にはなぜかリービッヒ夫人の石像が立っている。

 

5.ヘッセン(Hessen)公国の首都であった町

 ヘッセン州最大の都市がフランクフルトである事を知っている人の中には、首都をフランクフルトと誤解している人 が多いのではないか?確かにフランクフルトは今やドイツだけでなくEUにおける商業、金融の中心地として、またドイツの空の玄関として確かな位置を占めて いるが、実はヴィースバーデン(Wiesbaden)が現在の首都で、1944年まではDarmstadtがヘッセン州の首都であった。先の戦争で Darmstadt町がほぼ完全に破壊されたため、戦後現在のWiesbadenに移ったという次第。それだけに、Darmstadt町には重要な文化遺 産が多く残されていることに気づかされる。

 

6.Jugendstil(新しい芸術活動)の中心地であった町 

 今からちょうど100年前、いわゆる19世紀末にウイーンをはじめとして芸術活動が盛んになった。当時のオーストリアにおける代表的な画家としてはクリムト、 シェーレがよく知られている。ドイツでは当時、ヘッセン公国のErnst Ludbig大公がその新しい芸術活動を積極的に支援するため有能な建築家、画家、彫刻たちをDarmstadtに集め、一定の地域を特別に使えるように 配慮した。そこがマチルダの丘(Mathildenhoehe)という場所である。幸いにもこの場所は戦災を免れたため当時の作品がそのまま残っている。 この丘のシンボル的な建物が結婚記念塔(Hochzeitsturm)で、Ludwig大公がマチルダ王妃に5本の指を立てて結婚の誓いを立ている姿が屋根の形になっている。また、塔の中には2人の愛を描いたモザイク作品がある。

 

   

 

丘の周辺にはオルブリッヒOlbrich等が設計したユニークな住居や記念碑がある。

その一つは当時の芸術家たちの作品(絵画、陶器、室内装飾品など)を展示している美術館(Kuenstlerkolonie)となっている。これがドイツユーゲント派(Jugendstil)、フランスではアールヌーボー(Art Nouveau) と呼ばれている芸術活動と作品である。因みに、Darmstadt中央駅もJugendstil様式の建物の一つである。

 

  

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