Uploaded on 10.01.2001

 アルスター通信(ドイツだより)

Alster Nachrichten

    3  2001年1月10日発行

      発行人: 吉野 輝雄

                                      
ドイツでの20世紀から21世紀への変わり目/日記から
 

                                      吉野 輝雄

2000年大晦日・12月31日

 

朝、外気温は2℃。めずらしく快晴。  

10時に聖ミカエル教会の主日礼拝へ

ヨハネ1章の「はじめに言ありき」と世は過ぎ去りキリストが生まれた(Welt ist ging verloren, Christ ist geboren)のクリスマス讃美歌の意味を説くメッセージであった。聖歌隊の合唱がすばらしかった(明らかにプロ)。最後に主の晩餐に与った。

帰宅し、ベートーベンの第九交響曲コンサート(3:30pm)に出かける前にメールの年賀状を数通書く。

 

第九コンサートへ:道路が滑るので自転車をやめ2人でMusikhalleまで歩く。15分で到着。中はもうほとんど満席。自分達の席が見つからずしばらく右往左往。やっと見つかった席は3階脇席であったが、オケのすぐ上の位置であったので音響は最高であった。高性能のステレオ以上の音響だ(当然)。席から立つと指揮者もソリストも見えるが、席からはベース奏者4人とチェロ奏者2人がちらりと見えるだけ。しかし、第九では第4楽章でベースのパートが重要なのでよい席であったと自分に言い聞かせる。一方、純子は柱の陰であったので音だけだったとこぼす。しかし、12.5DM(650円)の席だから仕方ない。合唱はHamburger Oratorienchorとあった。ほとんどがおばさん、おじさんであったが声量はさすがだった。フィナーレまでの80分がひどく短く感じられたが、大満足して帰って来た。

 

 20時過ぎに家を出、S-BahnでBereuterさんのお宅へ。Suelldorfの駅で福森さんと待ち合わせ、車で広い庭大きな家のお宅へ。ご主人のJ.Bereuterさんの絵とクリスマス・ツリーがある広い居間に招かれ、ソファーでシェリー酒を頂く。すでに衛星放送の紅白歌合戦が始まっていた。なつかしのメロディ(布施明、ピンクレディ等)の場面をわき目で観ながらおしゃべり。ご主人、お子さん(愛子ちゃん、ケンくん)も加わり賑やかに遊ぶ。ご主人が見事な手品を見せてくれた。バイオリニストの小田切さんと日本から住み込みのお手伝いとして来ている女性(aupair Maedchen)と友人が加わる。紅白が11時に終え(グリニッチ時間に合わせているので1時間早い)、年越しソバを頂き、0時の時報に合わせてシャンパンで乾杯。外では近所の人々がすでに花火を上げ始めている。われわれも雪の積もる庭に出て大小の花火をあげ年明けを祝う?さすがケンくんは男の子だ、花火に夢中。暖かい部屋に戻ってBerlinerというジャム入りドーナツをいただく。こうして日独両方式を組み合わせた年越しをすることができた。

 その後、2階のアトリエで作品を見せて頂いた。正確なタッチと透明感のある素晴らしい作品ばかりだ。小さな時計の文字盤にも絵を描かれている。まっすぐ対象を観察する目と高い表現力の持ち主のプロであることがよくわかった。1月にHamburgで開かれる個展が楽しみだ。長居をしてしまった。1時過ぎにおいとまする。                Bereuter氏の作品→        

 

 大晦日は夜中もS-Bahnが走っていた。SuelldorfからHamburgの町中(Jungfernstieg)まで乗って行き、ゲストハウスまで30分近くの距離であったので夜道を歩くことにした。市庁舎前からゲストハウスまでの道端はどこも花火の残りカスで一杯だ。日本のように大きな花火があげられるを見て楽しむのではなく、一人ひとり、一軒一軒が中型の打ち上げやロケット花火を買って勝手に上げて楽しむのがドイツ流らしい。街角のあちこちにで酔った若者がたむろし奇声をあげていた。ダムトール駅近くのディスコは一晩中開いていて、ロック音楽の音を外まで響かせていた。

                          

 大晦日の花火は全国民の楽しみとなっていることを今回改めて知ったが、一部の若者の楽しみ方が異常になっているようにも感じた。例えば、歩行者に音のする花火を投げつけたり、ロケット花火を水平発射させるのを目の当たりで見た。後で知人と議論したことだが、

同じような場面に出逢い怖しくて身が縮まったと言う。恐怖だけでなく怒りを覚えたのは私だけではなかったようだ。このままエスカレートしていくと、家族や友人が共に健康で新年を迎えることができたという喜びを声と身体だけでなく花火をあげて表すという素朴な市民の慣習が、不心得者たちの行為で損なわれるのではないかと心配する。

いずれにせよ、これが私の見たドイツの大晦日風景であった。

3am近くに無事帰宅。これが21世紀の滑り出しでもあった。

 

                                           爆竹花火のかす


元旦:2001年1月1日

 

 午前8時に起きると朝焼けで向かいの建物が陽光で染まっていた。

   ァ   

   ゲストハウスの前                        Alster湖の元旦の朝

自転車でAlster湖畔へ。日の出時刻が少し過ぎていたが雲間が輝いていた。われわれ以外には、昨晩の花火のかすを集めている清掃夫だけしかいない。湖岸が氷っている。割れた氷のそばに30 羽以上のバン(クイナ)が群がっていたがいかにも寒そうに見えた。これがドイツで迎えた元旦の朝だ。

 

お餅のないお正月。午前中2人で家庭礼拝。

昼食はスモークサーモンの押し寿司。11月にダルムシュタットに中川先生を訪ねた時に買った 01.01.01キップ

Hessische Bergstrabeワイン(Spaetlase)を開ける。おいしい。

Alster通信第2号(新年の挨拶/年賀状)をアップ。年賀メールを書く。

これがドイツで迎えた21世紀最初の日であった。

明日からはドイツ流に通常の仕事モードだ。

 

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